smells like...

 古い映画の、フィルムが回る音。白黒で、その上に薄い茶のフィルターがかかっていてどこか奥行きのあるノスタルジックな色を想像する。動きはやっぱり滑らかでなく、カクカク動く映像がたまにぶれる。外国の草原だが、麦畑だか、何だか知らないけど、草の動きで風が吹いているのが分かる映像に、無理やり繋げたようなカットで映り込む人物。そうだな、少年かな、勿論外国の。ハンチング帽に開襟シャツ、サスペンダーに膝上丈のズボン。決して笑顔ではなく、表情豊かでもない。けれど膨らみのある頬は健康さを思わせ、長い睫毛に囲まれた色素の薄い目は力強く輝く未来を見ている。纏めると、ノスタルジックで雄大な爽やかさの中に一滴の力強い生命力。

「……全然わかんねえ」

「だろうね、言ってる俺が分かんない」

 なんでこんな話になったんだっけ。えっと、風呂上りにテレビを見ていて香水とかアロマの話になって、匂いを言葉で表現して説明するって難しいな、という会話の流れからこんな遊び感覚でわけの分からない品評会みたいのが始まったんだっけ。麗は家中にある匂いのするものを集めてきて、これは、こっちは、じゃあこれは、と代わる代わる俺に嗅がせて感想を求めるので、だんだんと何を言ってるのか自分でも謎な表現になってきていた。

「えっとじゃあ次は俺の香水」

「えっヤダあの金融屋みたいなやつでしょ?」

 そろそろ鼻がおかしくなりそうだ。ルームフレグランスやアロマディフューザーなんかは俺も好きな匂いだったりしてまだ良かったが、そのうち柔軟剤や入浴剤、シャンプーやトリートメント、歯磨き粉に食器用洗剤などなんでもかんでも嗅がされすぎて、既にだいぶ匂いに酔って気持ちが悪い。そこに眩暈がしそうなこいつの香水なんか身体に入れたら吐いてしまいそうだ。

「ちゃんとなんか、こう、なんとかして」

「もういいって。金融屋以外うまい言い方ないって」

「その言葉を使わずになんか、こう、どうにか」

 最初は言葉遊びみたいで面白かった。だけど笑ったり成る程ななんて納得したりしつつも何か、欲しいものと違ったみたいな顔をされ続け、ここまでくると辟易してくる。何がそんなに欲しいのか、まあこいつのことだからなんとなく分かってはいるのだが、口にしたくなくて面倒だ。けれどどれだけ嫌がってもしつこくぐいぐい目の前に翳してくるので、これで最後だからと念を押して仕方なく手に取った。

「げえ、うわ、もうほら蓋開けただけでうわ、もう金融屋」

「ええ〜、もっと他に無いの」

 鼻を近づけすんすんと何度か嗅いでみた。頭の中に浮かぶのは、ギラついた、いやらしい、それっぽい、気持ち悪い、金色の腕時計、ジェルで固められた髪、派手なスーツ、浅黒い肌と悪趣味なネクタイ。あと、散弾銃で撃たれたみたいな穴のあいた靴。困惑気味にちらりと隣にいる麗の顔を見たら、俺の顔をじっと見て言葉を待っている。引き結ばれた唇が命を懸けた賭けでもしているようで、唾の飲み下す音さえ聞こえてきそうな気がする。

「……お前」

「……なに?」

 分かっているのか分かっていないのか、変な顔で俺を見ている。気分が悪くて仕方が無い。吐きそうで堪らない。

「お前、香水つけんのやめたら?」

「え〜」

 でた、今欲しいのはそれじゃない、みたいな顔だ。ニヤついているくせにちょっと不満そうな目をしていて、腹が立つ。

「あーもう終わり! 気持ち悪い」

 残念そうに声を上げつつも、もう俺が一切の興味を失くしてソファから立ち上がったから、渋々集めてきたものを元の場所に戻し始めた。よくもまあそれだけ集めたな、という量を行ったり来たり戻しているのを尻目に、大袈裟でなく匂いに酔って気持ちの悪かった俺は外の空気を吸いにバルコニーへ出た。

 日も落ちてからだいぶ経つ深夜、今日は風があって湿気もあまり気にならない。外気を思いっきり吸い込むと、先程まで嗅いでいたどれとも違う、自然だったり人工的だったり、他人行儀なのに親しみもあるような、新鮮なようで懐かしい複雑だけど爽やかな匂いがした。改めて難しいなと思う。要するに、ちょっと爽やかな他人の家の匂い、という感じだ。そんなことを考えながら、持ってきたペットボトルの水を飲む。風呂上がりに冷蔵庫から出したので今はもう常温に近い。ずっと喋っていたから、喉を流れていくのが心地良い。深く息を吸い込んで、ゆっくり吐くのを繰り返していたらそのうち気分の悪さも和らいだ。

「湯冷めしない?」

 片付け終えたらしい麗が自分もサンダルをつっかけて外に出てきた。俺が開けっ放しにしていた窓を律儀に閉め、隣に立って、あの家のカーテンいつもちょっとだけ開いてて目に入るたび怖い、とかなんとか景色を指差して語り始める。最初は特に感想も無く聞いていたが、電信柱の話になった辺りで飽きてきた。この話まだ続くのかな。湯冷めするわ。

「うっさん、あったかいお茶いれて」

「え、お茶?」

「それ飲んでから寝る」

 まだノンカフェインの残ってたな、と一人でぶつぶつ言いながら麗が凭れていた手すりから離れ窓を開けると、室内から微かに流れてきた空気が鼻腔を掠めた。驚いて息を止めた。外に居ながら嗅ぐとこんなにも分かるのかと、中に居るともう分からなくなっていたことに。欲しがられていた言葉が頭の中に大きく浮かんだことに。驚くほどむしゃくしゃした。いや、どうせならどうにか別の言い回しで表現してみようとして、暫く考えて、いい言葉が出て来なくて参った。

「……」

 やっぱりなんでもいいから、香水はつけといてもらおう。




(2020.07.29//smells like...)

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