些末事

 あれをしよう。そう思って部屋を出たのに、考え事をしながら歩いていたらリビングを通り過ぎ、冷蔵庫の前ではたと立ち止まった時には自分が何をしに出てきたのかを見失っていた。暫くその場で思い出そうとしてみたけれど、結局首をひねりながら踵を返した。

「……俺、何しようとしてたんだっけ」

 思わず尋ねると、リビングのソファで昼下がりの情報番組を見ていた麗は困った顔で「え、それは俺、知ってるっけ?」と返してきて、いや言ってないなと独り言ち、ふらふら作業部屋に舞い戻る。部屋を出るまでを再現してみようとデスクチェアーに座って、ノートパソコンのキーボードに手を添えて、画面をじっと眺めてみた。が、思い出そうとすればするほどさっき麗が見ていたテレビにちらっと映った東京B級グルメ特集が妙に気になってきた。なんかめちゃくちゃ美味そうなやつあったな、ちらっとだけ店名と住所が目に入ったんだよ、でもなんて名前だったっけな。思考がどうしてもB級グルメに寄って行ってしまうので、重要なことならそのうち思い出すだろう、と放っておくことにして作業を再開した。そしてなんと、何をしようとしたか忘れたこと自体をきれいさっぱりすっかり忘れてしまった。

 まあ忘れてしまったなら忘れてしまったでよかったんだよ、むしろ中途半端に何か忘れたってことを思い出すくらいなら。晩飯を食ったあとリビングのソファーでギターの練習をしていたら突然思い出してしまった。何かしようとして忘れてしまった、ということを、思い出してしまった。

「えー……なんだったっけ……」

「えっまだ考えてたの」

 隣で俺の練習を見ていた麗が、そういえばそんなことあったなって具合にあの時の俺の行動を反芻し推理してくる。「冷蔵庫の前まで行ったんなら、何か飲もうとしたとか」「単にトイレじゃない?」「外に出かけようとしたとか」「気分転換」そのどれもが、そんな理由だったっけな、としか言えないくらいにしっくりこない。

「あーもういいや、無かったことにしよう。忘れたことすらも無かったことにしてしまおう」

「それ大丈夫なの」

 多分、そこまで危機感もないから、大したことじゃないと思うのだ。忘れたことが気になっているだけで、絶対に思い出さないといけないようなことでもない気がする。というより、そんなことならまず忘れないと思う。俺はそこまでうっかりしてないよ、こいつじゃあるまいし。目が合うと、何がなんだか分からないけど目が合ったから笑ってみた、みたいにへらっと笑った。うっかりはしてないけれど、この顔を見るとわりと全部どうでもよくなってしまいがちだなあ、俺というやつは。