オールドフィルム

※LUCY捏造
※モブ目線



 ハロウィーンの夜に相応しい、不思議な話をしよう。

 僕が子供の頃過ごしたとある小さな村の端に、子供たちは立ち入りを禁じられ、大人でさえ寄り付かない山があった。その山奥には誰が建てたのか分からない掘っ立て小屋が建っていて、持ち主だった身寄りのない老女が亡くなってしまってからというもの、恐らく村の人間で小屋の存在を知る者は僕を除いて誰もいなかった。だいぶボロボロだったから、もう無いかも知れないな。もしかすると村さえもう無いかも知れない。そんなような昔の話だ。前持ち主の老女からは、死ぬ前に遺言として小屋の維持とそれに付随する幾つかのことを必ず欠かさず行うように頼まれていた。同時に誰にも言わないように、そして自分がこの村を去る時には必ず誰か口の堅い人間に後を頼むようにとも言われた。両親のいない僕は十歳の時この老女に村外れにある孤児院から引き取られ、ちょうど二年共に暮らしたくらいだから、あまりこれと言って思い出もないし育ててもらった恩を感じていたとかもない。捻くれた子供で、根暗で、友達もいなかったし。でも二つ返事で引き受けた。掘っ立て小屋を維持しなければならない理由は、訊かなくても分かった。老女はいつも少し悲しそうな笑顔で「ハロウィーンのお祭の夜には、幽霊様がいらっしゃる」と言っていたから。

 ハロウィーンのお祭、というのは村の風習で一年に一度、七日七晩、中身をくりぬいた瓜の中に蝋燭を灯し、家の前に飾って悪霊や魔物を寄せ付けないようにするというものだ。日没後は蝋燭の入れ替え以外で家から出てはならず、主に昼間が祭の本番として広場に集まり日没後すぐに寝入れるよう大人たちが酒盛りをする。子供は日が沈むと全員、よその家に預けられた。生まれ育った家、ひとつの家に何日も居ると連れ去られるという言い伝えがあり、必ず別の家を一日毎に転々とする。また、子供のいる家は身代わりになるよう必ず家畜の臓物を瓜と共に並べて置いた。僕はといえば、転々としたことは一度も無い。孤児院は村と折り合いが悪かったのか老女に引き取られるまで祭のことすら知らなかったし、老女は「幽霊様は子供を殺さない」とはっきりと言っていたからだ。ハロウィーンの前日にだけ掘っ立て小屋の中の祭壇(と呼べるほどのものでもない木で作られたボロボロの台だが、老女はそれをそう呼んだ)に必ず牛か豚の心臓を置いたが、その理由は「幽霊様に必要なものだから」。そして「もし幽霊様が家のドアを叩いたら、怖がらないで一緒に遊んでおいで」と笑っていた。けれど幽霊様は一度もドアを叩かなかったな。

 老女が死んで、僕が掘っ立て小屋の掃除や維持、ハロウィーンの前日に牛か豚の心臓を置いておくことなんかを引き継ぎ何年か経った或る年、不思議な住人が現れた。それまで幽霊様の存在を信じていなかったから、引き継いだことは一通りやっていたけれどお祭りの間に小屋に行ったことは一度もなかった。けれど祭壇に置いた牛や豚の心臓がいつもハロウィーンが終わって小屋を訪れるとなくなってしまっている不思議を突き止めたくなって、その年はお祭りの初日の夜に小屋を訪れた。そして不思議な二人と出会った。髪の長い修道服の男、サーカスの猛獣使いのような恰好をした男。二人とも人間の姿なのに、人間ではないとなんとなく分かってしまう明らかにおかしい風体だった。まぁ、初めて会った時のことは割愛しよう。なんせ、あまりに恐ろしくて遭遇した瞬間一目散に逃げてしまったから細かいことは覚えていないし、話したいのはそこじゃあないし。

 初対面こそ恐ろしかったものの、きっと二人は老女の言っていた「幽霊様」なんだろうという妙な確信をもった僕は昼夜問わず、一日に何度も、ハロウィーンのあいだ小屋に通った。二人は若干気狂い染みてはいたけれども笑顔でいつも楽しそうに暮らしていて、僕が行くとマズそうな家畜の臓物の料理を振舞ってくれた(マズそうな、で察してもらえるとは思うけれど、一度も食べていない)。どうやら彼らの主食は家畜の臓物で、村から取ってきたり、山の獣を狩ったりするらしい。じゃあ、ハロウィーンの前日に僕が小屋に置くのも食べていたんだね、と僕が言ったら、修道服の男が微笑んだ。

「君のは、あそこ」

 そう言って指差した先が猛獣使いだったので、僕は少し考えてから、ああ、彼が食べたんだな、と思った。

 彼らは一切眠らないらしかった。いつ行っても起きていて、猛獣使いは僕が重すぎて扱えず小屋に放置していたチェーンソーを持って死刑、死刑と喚きながら山の中を走り回っているし、修道服の男は鉈で適当に臓物を調理している。最初の頃、僕は二人に名前を尋ねた。その時は二人とも「忘れてしまった」と答えた。それで僕はそのうち二人をこう呼んだ。シスターと、チェーンキラー。そう呼んでもいいかと言うと、シスターとチェーンキラーはとても嬉しそうに笑った。

「最高に凶悪じゃん!」

「胸糞悪くてとてもいいね」

 彼らの感想は辛辣だったが、喜んでいるのには違いなかった。なぜってそれから二人は互いにそう呼び始めたんだ。けっこう嬉しかったな。

 けれど、楽しい時間は今思えばとても短かった。ハロウィーンのお祭が最終日に近づくに連れ、チェーンキラーは情緒が不安定になっていった。子供のようにきらきらした笑顔ではしゃぎまわっていたのに獣を狩ることもなくなり、頻繁に何かに怯えて辺りを見回したり、シスターにくっついて離れようとしなくなった。そして、最後の日の昼には、とうとう小屋から出て来なくなっていた。僕が小屋に行った時には、小屋の隅で小さくなりいつも被っている大きな帽子を深く被ってじっとしていた。心配になってシスターの顔を見ると、出会った時と同じ笑顔で言った。

「いつも通りだよ」

 その言葉の意味を僕が理解するのはだいぶ後のことになる。

 ハロウィーンの最終日、僕は日没までに家に帰るようにとシスターに小屋から追い出された。夜が明けてしまうまで、絶対に来ては駄目だと。理由は話してくれなかった。僕はその頃まだまだ子供だったし、仲良くなれたことをとても嬉しく思っていたから、少し悲しくて、少し腹が立ってしまった。僕は君たちのことを村中の誰にも秘密にして、毎年献身的なまでに役目を果たしているのに、君たちが僕に何を隠そうというのか。そんな気持ちがあったのだ。僕は不躾に彼らの秘密を知ろうとした。夜遅く、小屋までそっと山道を進んだ。

 いつも聞こえてくる風に揺れる枯葉の音や名前も知らない奇妙な鳥の鳴き声がその時は何一つ聞こえてこなくて、風も無いのに手に持ったランタンの火が消えた。やむなくその場にしゃがみ込んでポケットからマッチを取り出して火をつけようとした時、凄惨な叫び声が闇夜を劈いた。僕は驚いてマッチを落としてしまい、指先から這い上がってくる震えにどっと汗が溢れてきて、凍えたように動けなくなった。小屋の方から聞こえてくる悲鳴はこの世のものとは思えないほど罅割れ、掠れ、刺々しく痛々しくて、何度も何度も何度も何度も闇の中に轟いた。甲高い、かと思えば低い呻き声と啜り泣きが混ざり、助けを求めているような、絶望しているような、何かを心底憎んでいるような。恐怖に震えていた僕はそのうちそれがチェーンキラーの声だと気づき、その途端にここに来たことを後悔した。小屋で何が起きているのか、考えても考えても分からない。何かあったのなら助けなくては。そう思うけれど身体は動かない。凶暴な獣に襲われているのでは? 村の誰かに見つかって、酷い仕打ちを受けているのでは? 想像が心臓の音と共に囃し立ててくるのに、その場でずっと、耳を塞いでも聴こえてくる声に責められ続けた。泣いているようだ。怒っているようだ。痛そうだ、辛そうだ、苦しそうだ、悲しそうだ。誰かの名前を呼んでいるようだ。聞いたことのない名前だ、名前かどうかの確証はない。そういえばシスターの声は聞こえてこない、どうしたのだろう、その場にいるのだろうか、何をしているのだろう、声も出せなくなってしまったのだろうか。チェーンキラーが叫ぶ度に涙が出てくるのを他人事のように感じながら、そんなことを考えていた。

 耳を塞ぎ蹲り、どれくらい経っただろうか。山に静寂が戻り冷えた空気が辺りをひたひた這い回っていて、恐怖だけではない震えが全身を支配してがちがちに固まった背中をそっと撫でられて顔を上げた。そこにはいつもの笑顔のシスターがいた。

「怖かったね。もう終わったから」

 シスターに抱えられて小屋に行った。小屋のそばには今まで一度も見たことがなかった焚き火が燃えていて、どこにもチェーンキラーの姿はなかった。僕は小屋の床に下ろされ、ぼろぼろの毛布を掛けられた。ところどころ黒ずんだ染みが深く古くて、肌触りは硬くざらざらとしているし、破れていたり継ぎ接ぎがあったり、兎に角最悪だったのにこの上なく温かくて思わず両手で抱き込んだ。暫くしてシスターは温かいスープを持ってきた。割れて欠けている汚いマグカップの中のスープは、初めて出てきた僕の食べられる物だった。飲み干す頃にやっと落ち着き、僕は蚊の鳴くような声でシスターに言った。

「チェーンキラーは?」

 僕の問いかけに、シスターは少し言葉を選ぶように間をあけると、優しい声で呟いた。

「眠ったよ」

 それはやはりいつものような笑顔だったのだけれど、蝋燭のゆらゆら揺れる光の中、少しだけ目尻に影を落としていた。

 放心状態で家に帰って数日を過ごし、意を決して小屋を訪れてみるとシスターはもう居なかった。それからの僕はこれといって何も変わらない毎日を過ごした。秘密を守り、思い出したように小屋の掃除にいった。けれどあの夜から毎日考えていたんだ、二人のこと、言葉、行動、そのすべて。考えに考えて、その結果、翌年のハロウィーンのお祭りの前日にはいつものように祭壇に臓物を置いた。チェーンキラーがどうなったのかシスターが何処に行ったのか何も分からなかったし、また小屋に来るなんていう確証はなかったんだけれど。だからハロウィーンのお祭りが終わった後、小屋へ行った時は本当に嬉しかったんだよ。

『また来年』

 祭壇の上に代わりに置かれてあった紙切れの、その言葉が。




 僕がハロウィーンのお祭りの間その小屋に行くことは二度となかったけど、きっと行かないほうがいいんだということは子供ながらに分かってしまった。それに、耳を澄ませばチェーンキラーの楽しそうな笑い声が聞こえてくるんだよ、それだけでハロウィーンの夜は楽しくて今でも大好きだ。

 どうだい、この夜に相応しい話だったでしょう?





(2020.10.31//オールドフィルム)
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