「相思相愛」

愛せない愛されたい


 砕ける風の音が頭蓋を叩く。無情な衣擦れの音と、中に混じるひそやかな声に耳を欹てる。こんなに近いのに、近しい音は全て遠く。逆に遠くが近く聞こえる始末。手に負えない、逃避らしい。融解するいくつかの音。聞き取れない小さな嘆き。無数の這いずる鬼が笑う。莫迦な二人を見て笑う。
 この手はまるで意思を持ったように勝手に動いて柔らかな身体を嬲り濡らす。摩り込まれる熱に従順な彼の目が細められ、請われるまま舌を差し出す。焦らしているつもりが気付けば焦らされている。壊れる? ちぎれる? 崩れる? 砕ける? なんでもいい。理性は既に食ってしまった。

 雨風が弱まるに連れ響く乱れた呼吸は酷くなる。雨が一生止まなければいいのにと考えながら汗ばんだ喉元を歯でやわく食む。足を投げ出し爪先まで強張らせ、震えながら弱音を吐く動物は、覚束ない手を蒲団の上に彷徨わせた。その姿をただ上からぼんやりと眺める。指先のやたら扇情的な動きに胸が裂けそうになる。止められない。熱い、熱くて、気が狂いそう。酷くしたい、酷く苛み、酷く乱してしまいたい。この燻る劣情を受け止められるのは。止めろと言わない、拒みもしない、抱かれて善がって啜り泣く、君しかいない。愛しくて歯痒い。


 抱かれても愛してくれはしない君を愛したくない僕が呟いた一言に顔を歪めた君。
 こんなに抱いておきながら愛したくないなんて滑稽だと僕を笑った、誰も愛せない君。
 その寂しそうな目を忘れない。

「青春ごっこ」

 繰り返される愛の冗談は幾度となく流してきた。戸惑いながらも流さなければならないと頭の何処かで完璧に割り切っていた。そうしなければこうやって、放課後や休みの日に互いの部屋に出入りするほどの関係を続けてはいけない。けれど、何処から何処までが、ボーダーラインなのだろう。気づかれないようにと茶化すのも、限度があるというのに。

 放課後に麗の家で、二人揃って課題をやっていた。放課後に女の子との見詰めあい、でなく、課題とにらめっこ、なんて、と溜息を吐く相手に「付き合ってる女もいねーくせに」と悪態をついたら「それ言わないで」と返される。それで暫く取り留めのない会話で笑い合っていたのだが。

「俺、流鬼なら抱ける気がする、顔が可愛いから」

 正直腹が立った、人の気も知らないでなんてことを言うのかと。しかも顔だと。可愛いに決まっているだろうが。苛々してついぶっきらぼうに返答をした。

「じゃあやってみれば。お前には出来ないだろうけど」

 一瞬で部屋の空気が凍りついた、次の瞬間、回る天井に思考が切れた。二転三転する壁に俺は驚いて抗うこともろくに出来なかった。唐突にそれも恐ろしい速さで色の変わる視界に戸惑いが先立ち、戸惑っている間に気づけば背中と床が離れなくなっている。腕を押さえられている。ぴたりと、視線がかち合ったまま、息を整える。ふ、と状況を飲み込んで、思わず肺を膨ませた。

「……おい、落ち着け、冗談だろ」

 自分に言い聞かせるように、目の前の男に言い聞かせる。なんとなくこうなった経緯はものすごく莫迦莫迦しいが、莫迦莫迦しくもない現状には余裕を装って吐く溜息もただの強がりにしかならない。

「多分、後悔するから」

「……」

 麗は必死に訴える俺を何も言わずに冷えた目で見下ろしている。その瞳の翳った様が唾を飲むほど恐ろしく感じられた。こんな顔をしている麗は終ぞ見たことがない。怒っているのか、何も考えていないのか、怒りや憎しみとかいう感情の衝動とその真意を見抜かれないように作られた仮面のようにも思えたし、ただ本当に何も考えておらず思ったままに行動していますと表しているような、彼らしい感情的な表情のようにも思えた。前者であるなら救われる。後者であれば未来はない。

「なァ、俺の言い方が悪かったんだろ、謝るから退けよ」

 しかし麗は謝罪など求めていないといった風に聞く耳を持たず、俺を床に押さえつけて依然と動こうとしない。聞こえていないのか、聞く気もないのか、それとも違う言葉を待っているのか。俺は必死になるしかなかった。このままでは冗談で済まない。焦るとぺらぺら舌が回った。自分でもおかしいほど言葉で場を切り抜けることに徹した。

「おいほんと冗談じゃないってば、退けよ。俺明日までに数学の宿題やんないと先公に卒業させてやんねえって言われてんだけど。オマエもじゃない? 出席日数足りてねェからっていうかさっきから気になってたけどお前ちょっと太ったんじゃねェのすっごい重いんだけどだからマジで退いて、しゃれにな」

「うるさい」

 びく、と、震えて言葉に詰まった。ただでさえ低い声が更に地を這って耳に届く。本気で怒っているのかも知れない。俺を苛立たせたのは麗のほうだったが、煽ったのは俺なのだから、悪いのは俺だろう。しかし先に苛立たせてきたのは麗じゃないか。それを考えると何かしら怒っているらしい麗に真剣に腹が立ってきた。まず自分の過失に関わらず相手が機嫌を損ねると競うように自分も不機嫌になるのは性格上どうしようもないことだという自覚はある。

「冗談じゃねーよ、調子に乗んなよ」

 思い切り睨みつけると、麗は冷ややかな目を少しだけ揺らした。俺はしんと静まり返った部屋で床に押さえつけられたまま相手を殺す勢いでにらみつけたが、とうの睨まれた麗といえば、じっとこちらを見詰めたままで、やはりその目からはなんの感情も見抜けない。そのうち何か呟くようにして唇を動かしたかと思うと、ぐぐ、と顔が近づいてきた。俺の心臓は大きくて速い鼓動を刻み始める。動けないのは嫌悪ではなく、期待だと、知っているのにやはり動けない自分が疎ましかった。そんな期待を、自分を、視線を剥がせば気づかれるに違いないと恐ろしくて、視線も動かせなかった。麗の鼻先が俺の鼻先に擦れる、寸前、息を止めた、瞬間。それまで呼吸の音すら潜ませていた麗が、風船を割ったかのような大声で盛大に笑い出した。

「莫迦じゃないの流鬼、マジ俺が襲うと思ったわけ」

 俺の上から退いて腹を抱えて笑い転げる。呆然としたまま起き上がることも忘れて数秒、天井を見ていた。それから謀られたと気づいてすぐに起き上がり、怒鳴ることすら出来ず胸から飛び出さんばかりに暴れる心臓を抑え込んで項垂れ、怒りと羞恥に震えた。またそれを見て麗は涙まで流し出す始末だった。それから心臓の鼓動を整え終え、麗を殴って黙らせるのに時間はかからなかった。

「悪かったってばぁ。でもやってみればっつったのは流鬼じゃん」

 殴られた頭を撫でさすり、笑いをこらえて言う。

(人の気も知らないくせに)

 失言だった。つい苛立って思ったことが口を付いて出た。でもそれは麗が悪いのだ。あんな冗談を、俺の気も知らないで、何事もないかのように言うから。

「お前なんてもう顔も見たくない」

 死ねばいいのに、と吐き捨て、まだ真っ赤であろう顔を必死に隠しながら荷物をまとめ家から出て行く俺を麗はげらげら笑いながら玄関まで見送った。



玄関のドアが乱暴に閉じられ流鬼が見えなくなると、顔から一気に笑いが引いたのが鏡で見ているかのようにはっきりとわかった。その場に座り込んで後頭部をかきながら、自分の莫迦さ加減に溜息を吐いた。

「マジで、冗談じゃないってば」

 冗談でしか言えない言葉を受け止めてもらえるなどとは思っていなかったが、ああ言い返されるとも思っていなかった。なんとなく自分の部屋に入りづらくて、部屋の前で立ち止まる。

(人の気も知らねーくせに)

 愛情を冗談めかすことには慣れている。けれど、切り返される言葉に戸惑う自分を抑えられない。何処から何処までが許容範囲なのだろう。また一つ自分の部屋に消えない影が出来てしまった。夢に見そうだ、と、ドアに頭をぶつけて目を閉じた。

「カルト」

 綺麗な断面で擦り切れていく二人のこころを近づけられない。

 真夏が終わらないうちは優しい夢など緩やかな憂鬱でも押し寄せない限り、見れる筈もない。


 頭痛がするから目を伏せた。言いようのない苛立ちに包まれた部屋が生温い湿度を保ち、黒ずんでいく窓の外に感化されるようにして何かしらのひずみが生まれた。目に見えて正常じゃない。けれど異常と言うにはまだ、まだ、正気なままの二人だった。だから線が引けない。曖昧な二人の間にまどろむ如何ともし難い狂気がひたひた踏鞴を踏んでいる。追い払えるなら苦労しない。追い払えば、あちらへ行く、俺でない、あちらへ。だから俺もあいつも斯うしてこのまま追い払えもせず、手を伸ばすこともできず、唾液を飲み込む音も押し殺して耐えている。
 何を望んでも受け入れよう。できるなら望まれたいからだ。

「起きないで」

 尋ねても届くことは無い。
 おかしくなっていくアナタを見ていながらおかしくなっていく自分に見惚れている、嘘吐きが浸るには優しすぎるマーブル模様の海。息をしたい。喉に気管に肺に胸に雪崩れ込む冷たい水が全身をふやかして意識を途切れさせてくれるまであと幾つ夜を縫えばいいだろう。繋ぎ合わせて見てみぬふりをする傷。そうやって生きていく。人間ならば。アナタと一緒に全部やめてしまいたい。ああ、朝だ、落ちる、熱。首に回る腕の重みを捨てる。全て無かったことにできる色を連れてくる朝が嫌い。

「嘆くな、けれど」

 落ちたのか。逸れたのか。上ったのか。転んだのか。もともと此処に居たのかも知れない。だけれど気づいたら手を握っていたのだからもと居た場所から如何にかなったのは確かだ。理由も無いのに手と手をとるなどはありえない。こちらから差し伸べたのか、あちらが差し出したのか。こちらが強引に掴んだのか、あちらが有無も言わさず握ったのか。さあ己はいよいよわからないことだらけの中で今の立ち位置にあることに気づく。果たして此処にこのまま斯うして在ることは必然的にそうなったのか不条理なものに動かされてそうなったのか? 答えは見当たるはずも無い、なにせ己の指の感覚すら上手に把握できていない。
 暗転があった。目を開いたら仰向けになって光の流れる水面を眺めている、薄暗い海の底は穏やかで何故か心地が良く思える。見上げる光の波間にちらちらと細かく震えるものがある。音が水を震わせているのだと知る。耳に届くのはふさがれた空気の囀りだけで、目を塞げば音がしていること自体を忘れてしまえるくらいに何も聞こえない。不思議にも俺は此処は何処かと問うことをしない。自分がどんな姿か思いつかないのに思い出せないことを疑問に思うこともない。震える音に対して興味を抱くわけもなく、自分が息をしているのかいないのかも考えるに及ばない。ただ在る。それだけだ。
 再び暗転した。

「流鬼」

 目を開けた。浮上した感覚が身体中に染み渡ってどんと身体の重みを感じた。たくさんの色に囲まれているのに先ほど居た薄暗い其処よりも何処か薄っぺらな気がした。

「おはよう」

 声を出してみた。腕を伸ばした。隣に居る男の首に腕を回した。背中を緩く撫でられた。そして、なるほど、とひとり納得する。喉が震えて舌が動いたから、腕を意思で動かせたから、自分ではない誰かが自分に触れたから、そうして自分は今ここに存在しているのだと思い込んだ。思い込んでいたのだろう。確証があるはずがないものを思い込み信じることが唯一人間に与えられた救われるための術であるのかも知れない。同時にそれは唯一許されなかった苦悩、痛みを抱え生きなければならない罰であるのだとも思う。

「おはようのチューして」

「了解です」

 ふざけて笑い合うことで安堵を得る。馬鹿げたことを言い合うのには意味がある。触れ合うこと、探り合うこと、引き裂いて潜り込むこと、語ること。全ては二人に感傷を連れてくる。逃れられない場合に二人がすべきこと、二人が存在しているという事実に観念さえも笑い飛ばしてしまうことで意味や理由を忘れること。言葉など目に見えないものを信じることを拒みながら感情など形にもできないものを信じたいと願う、愚かな自由。

 生きていることを嘆くことはしない。何かを愛すことも拒まない。けれど、出来ればあなたを揺るがす何かで在りたい、そんな我が儘も口にしたくないほどあなたに揺るがされている自分だけは拒んでいたい。

(保身、というより。)

 もっと醜く浅ましい。

「だってしょうがないじゃん」

 レコーディング中は禁欲生活。どちらが言い出したかは忘れてしまった。俺だったような、あいつだったような。まあどっちでも構わない。禁欲生活と言ったって、俺があいつと、あいつが俺と、性交渉しないだけ。あいつはあいつで誰かと寝ているだろうし、俺も俺で誰かと寝ている。だから欲求不満になんて為るはずがない。でしょう? って、言い切れない俺は日に日に眠れなくなる。冷たい蒲団を愛せない。静かな部屋を歓迎できない。一人の空間を喜べない。体温、体温、体温をちょうだい!

「アー……、しぬ……」

 控え室のソファに横たわって呟いた。俺の隣に座っていたれいたがびくついて、マネージャーに何か言ったらしい、慌ててやってきたマネージャーが煙草と灰皿を目の前に差し出したけれど一笑に付した。

「れいちゃん、俺がニコチン切れだとでも思ってるの」
「口寂しいんだろ、それでも吸ってろってこと」
「むり。寂しいのは上の口じゃなくて下のく」
「わあー! わあー! 戒くん戒くん!」

 チ。下ネタも言えやしないこの純情ヒヨコが。
 れいたはソファに俺を残してさっさと戒くんのいるテーブルに駆けていった。何時まで経っても新婚のような雰囲気には目も当てられない。今はあんまり目にしたくない光景だと思い、瞼を閉じた。ちょうどそのとき、控え室のドアが開いた。

「俺かっこいい、もー完璧」
「おーお疲れ様」
「お疲れさんー」

 葵さんがブースから戻ってきた。何を隠そうまさに今はギター録りの最中、そう言えば俺のこの不満気味の様子、わかってくださるでしょうか。不満もクソもしょうがないんだから何も言えないんだけれど。

「流鬼さんご機嫌斜めやね」
「うるせえ……寧ろハイだっつーの」
「それは無理あるやろ、顔、青いで。俺、葵やで。なんちゃって」

 もうヤダ何こいつ、鬱陶しい。この三重県産の馬刺し。食ってやろうか。……やっぱりやめる、葵さんのセックスは面倒くさい。っていうか、うるさい。ちょっと黙れって思っちゃう。葵さんは止めとくとして、戒くん……いや、戒くんに抱かれるのって趣味じゃない。昔に一度、酔った勢いで抱かせてみたけど気遣われすぎて萎えたんだ。だって俺はいいっつってんのに真顔で「……本当に、いい? もう引き返せないよ」だぜ。ねーわ。
 散々うんうん唸っている俺にはもう触れないようにしている三人は、そのうち控え室から出て行った。葵さんは麗に呼ばれてもう一度ブースへ。戒くんはマネージャーと一緒に夜食の買出し。れいたは……れいた?

「ホラ、珈琲買ってきてやったぞ」

 目を開けて身体を起こしたら、目の前でれいたが缶珈琲を振っていた。ソファに腰掛けて、自分はペットボトルのコーラを煽った。

「寂しいのはわかるけど、もうちっと我慢な」

 ぽんぽん、とアタマをなでられて、その掌の温度が無性に、きた。楽器をやっている男の手ってだけでもう駄目なのかもしれなかった。そしてスイッチの入った俺を止められる人間が全員、出払っていたのがいけなかった。

「れいちゃん、ちょっと目つぶってみて」
「ん?」

 素直な奴。優しい奴。俺の親友。いただきます。

「おおおおおい!」

 ソファに腰掛けているれいたのベルトを勝手に外した。慌てて目を開けるがもう遅い。手馴れた俺の指捌きの勝ちだ。ジッパーを降ろしてそうそうに引きずり出したれいたのそれを制止も無視して口に銜えた。顔を押し退けようとしてくる手には容赦なく噛み付いた。今更、止められちゃかなわない。

「ん、」
「やばいって、や……流鬼!」
「……は、うるさいよ、お前は黙っておっ勃てとけ」

 舌の動きを早める。手で根元を揉み解す。そのうち硬度を増して天を仰ぐのを見ているだけで快感だ。れいたがしきりに誰か帰ってくるかもしれないと言っている、声が遠く聞こえる。欲情してしまった俺の中に常識の言葉は入り込んでこない。聞こえてくるのは濡れた音と自分の荒い息遣い。興奮するといつもこうだ。

「……は、ふ、……」

 十分な硬さになった頃合をみて口を離した。安堵したらしいれいたが身体の力を抜いたその隙にさっさとれいたの上に跨って、自分のベルトを外した。目を丸くして動きを止めるれいたの雄を後ろ手に支え、躊躇無く突っ込んでやった。

「るっ……!」
「ッア……、は、っぁ、……ふ、どーよ、男に突っ込むの」

 感じる? 尋ねたら耳まで真っ赤にして目を瞑ってしまうから、可愛いな、と思って腰を揺らした。

「ッん、ちょ、流鬼ッ、やべ……あっ、やめろってば……!」
「ふッ……は、なかなか、気持ちよさげじゃねーの、ッ」

 俺も散々腰を振って自分の快感に浸ろうとした。気持ちいいところを狙って擦って抉ったけれど、どうにも俺が盛り上がろうというところでいちいち感覚が瞼の裏をちらついた。麗のよりは小ぶりだな、とか、麗とは背の高さが違うから対面座位の顔の位置も違うな、とか、しがみついた両肩の骨の感じが違う、とか。自分でも相当莫迦だと思えど、記憶が邪魔して思うとおりに盛り上がれなかった。そうこうしているうちにもうれいたが切羽詰った状況に陥ってしまっていたらしく、なんか気持ちよさそうに喘いでるな、と思っていたら、突然俺を思い切り突き飛ばした。衝撃でソファから片足が落ちなんとか体勢を保ったものの、れいたの雄がずるりと抜けた。直後、目の前で熱を吐き出した。

「ッ……はー、……は、は……、う」
「……マジでか」

 早くないか、という言葉は飲み込んだ。盛り上がりかけていた俺の熱は萎れてしまった。泣きそうな顔で控え室を出てトイレに走っていったれいたを見遣って、申し訳ない気持ちと達しきれなかった不満がない交ぜに為った複雑な感情を持余し、ぐしゃぐしゃ頭を掻いた。

「災難でしょでしょ」

 俺はれいた。いま世界一哀れな男。気付いたら大変なことになっていた。事の発端は、ツアーの打ち上げで出掛けた焼肉屋で流鬼が葵さんに言った一言。

「ビールが美味いっていう意味がわかんない」

 それで葵さんが流鬼にビールのよさを懇々と説明しだしたが流鬼はわからない飲めないの一点張りで、葵さんは苛立った揚句「そうだ今から二次会だ、とことん飲みに行くぞ」と提案。なんだかその日俺を含めテンションの高かったメンバーは流鬼を除いて大賛成。みんな既に若干酔っていた。

「えー! やだ!」

 と嫌がる流鬼に麗が「まぁまぁ、奢るから!」といつものとおり財布約束で宥め、そして焼肉屋から場所を移し、個室完備の居酒屋に来たわけだ。
 すぐに運ばれて来た人数分のビールに流鬼は真剣に嫌がり、結局カシスオレンジを頼んでちびちびやっていた。そんな流鬼を尻目にビールをじゃんじゃん煽り酔っ払ってすっかり俺達は出来上がった。葵さんがぐだぐだと人生について話しはじめ、戒くんがそれに見当違いの返事をしているのを暫く爆笑しながら聞いていた俺だったが、ふと聞こえてきた声に振り返ってかなり焦った。

「おまえキショいんだよ!」

 カシスオレンジ一杯で酔ったらしい流鬼が麗の上に馬乗りになってにこにこ笑っている麗のほっぺたをしこたまに平手打ちしていた。

「やだもぉ照れんなよー」

 何が嬉しいのかずっと笑っている麗に何が気に入らないのか怒って殴り続ける流鬼。

「ちょ、おちつけ、おちつけ」

 とりあえず流鬼を引きはがして戒くんに託す。流鬼から開放された麗はワインをボトルで煽りながらけらけら笑って、ふと俺を見た。

「れーいた! こっちこーいナデナデしてやる!」
「お前ちょっと目覚ませ」

 パン、と頭を叩いたら「いたー!」と叫んでうずくまり、「流鬼ー! れいたがぶった!」と戒くんたちの方へ這って行った。
 まあそんな感じの酔っ払いどもをほっぽって、俺は飲み過ぎたせいか吐き気がしたからちょっとトイレに行ったのだった。
 帰ってきて、もう思わず酔いが醒めた。それはもう完璧に醒めた。
 部屋の奥のほうで、つまらない話で寝てしまったらしい戒くんにまだ話し続ける葵さんはいいとして。少し離れた場所で何がどうなってそうなったのか麗が流鬼に乗っかってそれはもうおっぱじめていたわけである。

「あっ……、なぁ酔っ払い、は、れーたが帰ってきたぞ……」

 くすくす笑って流鬼は麗の下から俺を見た。ダラダラ汗をかいて動けない俺はこのまま死にたいとすら思った。

「あ? 聞こえない、いま忙しい」

 欲に狂ったみたいに一心不乱に流鬼を組み敷いて肌に噛り付いている麗はいつもより低い声で短くいうと、俺なんて見えていないのかさっさと自分のベルトを外して流鬼の下半身をまさぐり始めた。

「ちょ、おいおいおいそれはマズイ」

 俺の言葉に流鬼が声をあげて笑った。

「やば……っぁ、こら、見てんなよ……っは、あ、興奮、すんだろ」
「なんでだ!」

 そう叫んだ俺に麗が目を向ける。やっと俺の存在に気付いてくれたらしい。

「見てんなら静かに見てろよ」

 何で口調が違うんだ? 疑問と困惑でいっぱいいっぱいな俺の目の前で酔っ払いたちはついにまぐわりだした。逃げたい、逃げよう、と踵を返しかけたとき、麗の厳しい声がとんできた。

「どこ行くの。そこで見てろって」
「なんで?!」
「流鬼が興奮するから」

 そんな理由? と口に出す前に揺さぶられている流鬼と目が合う。視線がかちあった瞬間、流鬼は身震いして一際大きく足をばたつかせた。

「っぁ、あ……あっ!」
「……っ動けないんだけど、緩めてくんない?」

 麗が意地悪く言って無理矢理ぐらぐら揺り動かすと、堪らないといったふうに流鬼の眉が寄る。

「ぁ、あっ! ん、は……きもちい、やべ……」


−糸冬−