140

帰路



窓の外にちらつく枯葉、視線を弄ばれて暫く、一人遊びと口ずさむ脳を巡る歌。路肩に停まった車の助手席は道路側、なんたって自慢の恋人の車は左ハンドル。少しの優越に睫毛が震えた。直後の風!思わず身を硬くする。扉が開いた方を見遣れば、ご帰還、運転席に乗り込む大きな身体にあわせて車が揺れた。

扉が閉じられる。乗り込む間の一瞬の風が車内を軽く舐めた、それだけで身体が冷えた気になった。車内の空気を宥める空調機の風は優し過ぎる。笑って差し出される缶珈琲を受け取って、その強引な熱が心地良かった。開けるのを待ってから車は動き出す。いつものような優しい帰路だ。安堵、そして、落胆。

青信号、赤信号、横断歩道、陸橋、交差点、四車線、国道二十三号線、高架道路。高層ビル、百貨店、商店街、マンション、広告塔。テールランプの、赤、白、黄色、緑。次々と過ぎる。目まぐるしく、さびしい速度で。人の群れが見える。家族、恋人、兄弟、姉妹、仲間、友人。誰かにとって唯一無二のもの。

「寒くなったね」「暗くなるのが早くなった」「イルミネーションも増えた」車内にはずっと響いている。その声と言葉にそっと耳だけを傾ける。あなたがそうやって雄弁に話す理由を俺は知っている。この肩にかかる厚手のブランケットの理由も、車内の暖房が強められない理由も、必ず缶珈琲を買う理由も。

音量の絞られたラジオから零れる歌があなたの意識を奪う。あなたは小さく口ずさみ始める。そしてあなたの意識から俺が疎外される。知らない歌だったら良かったのに。少しの嫉妬で窓を曇らせる。そこに滲む車のランプが曖昧な光で俺を慰めたから、すぐに袖で拭いて仕舞った。優しいものは事足りている。

たとえば急に目の前を走る車が止まってしまってこのスピードでぶつかればどうなるだろうかそんなふうに思考をし始めてもあなたが気づくことなんてないから、苛立ち混じりに窓を開けた。吹き込む冷たい風があなたを突き飛ばしてあなたが盛大に声を上げた。得意になって振り向いたら、視線がぶつかった。

ああ、同じ世界にいる。そんなことで安堵を得る自分を、窓から吹き込む風が冷ややかに笑った。