「またひとつ惨めな恋をしたの」

 言葉なんて要らなかったと君が言うから僕は少しのあいだ口を閉ざした。君の胸に溢れる悲壮を飲み込んであげるには、こんな僕はきっとまだまだ役不足なんだろう。君が嫌だと言っても唇を奪うだけの強引さが、君への最大の優しさだと気付かせる術がない。ソファに腰掛けている君と僕の数センチの距離が遠い。

「要らなかったのに」

 繰り返し噛み締めるように紡ぐそれも、言葉なのに。君は要らないと言うのか。

「でも、それも言葉でしょ」

 言ったら、君は自嘲気味に笑った。僕は、言わなければよかったと後悔した。

「そう。言葉がなかったら、お前にこんな弱音を吐かずに済んだ」

 涙の痕はない。ただ見え隠れする悲壮。それだけ。それだけが、僕を虜にして止まない。

「言葉なんか無力だよ」

 僕は言った。だからあってもなくてもいいじゃないかと。君は笑った。コトダマという言葉を知らないのかと。言葉は力を持つから、だから要らなかったのだと。
 でも僕にはわからない。君に届かないこんな僕の言葉にも、魂は宿るのか? 否、無意味。宿ったとして、やはり届かないことには無力なのだ。

「流鬼が言葉を嫌いでも」

 紡ぎかけた唇に真っ白な手が触れる。まるで黙れと促すように唇をなぞる細い指の、冷たい喜びを慈しむ。嗚呼、こんなにも、触れられるだけでたくさんの言葉が出そう。

「俺は流鬼の声が好きなんだ」

 目を細める君が言葉を紡ぐ前に、強引にくちづけた。形の綺麗な舌が君の隠し持つ無垢さなら、君のその舌を絡めとる僕の舌は僕に潜む汚らわしさ。

「お前は狡い」

 どうして、と問いながら、手を引いてソファに寝そべる。横になった僕の上に抵抗もなく跨がって、君はまた笑う。

「お前から言葉が消えれば良いのに」

 予想だにしない言葉にまた僕は口を閉ざした。
 胸の上になだれた君の、要らないと言った、本当の意味を知った。