恋なんてまだ知らない

 張り詰めた空気に混ぜた吐息が消えるのを見ていた。白い結晶が一瞬で薄くなっていくのに、なんだか二人の出会ってから今までを見た気がしてそっとマフラーに鼻まで埋める。

「何処行きたい」

 何も知らない高嶋が白い息を吐いて眺めてを繰り返す、その合間に言葉を投げてきた。松本は目を伏せながらじっと足元を見ていた。三年前に買ったローファーは綺麗な黒じゃなくなって、ぼろぼろで薄汚れていた。交互に動かす足の爪先があるあたりを見詰め、高嶋の言葉を考えた。

「俺、腹減ったからマックがいいなー」

「じゃあ、そこでいい」

 決まり。と高嶋は嬉しそうに少し跳ねた。ふと首を動かして顔を覗いたら、あんまり嬉しそうに笑っていたからおかしくてついちょっとだけ笑ってしまう。

「ふ、」

 なになに、と、松本の顔を覗き込んでくるその笑顔は昔から変わらない。三年経ったのに、三年経ったことが嘘のようで。一体どれだけの出来事が二人の中で生まれて消えたのか、わからない。三年という月日の長さを思った。
 下足場からずっとポケットに突っ込んだままの手の片一方を、急に引っ張られて足を止めた。同じくポケットに突っ込まれたままだった高嶋の温い手が、松本の手を握った。戸惑いながら、マフラーから顔を出す。見上げた高嶋は眉を寄せて、口許だけで笑っていた。

「麗、」

「……これで最後だよね」

 どういう意味か松本が気づくより先に、高嶋は松本にくちづけた。
 普段賑やかな通学路には猫一匹通らない。下校時刻よりも二時間早い二人の帰路には他に誰ひとり見当たらなかった。足を止めたその場所で、小さく唇を合わせた。冬の味だ、と松本は目をつむって、少しのあいだ高嶋の冷えた唇に大人しく塞がれていた。



 歩き出してすぐ、高嶋はぽつりと言った。

「俺、大学いかないんだ」

「……知ってる」

「あ、言ったっけ?」

 正確には知ってしまっただけだったのだが、今聞いたからもういいか、と松本は口を噤んだ。

「金無いから働こうかなって」

 まあ適当に生きてくよ、と空を見上げる高嶋の隣で、松本はまた足元を見ていた。普段自分の意思などないようなやつが、こうして自分の知らないところで重要な決断をしている。当たり前のことなのに、置いていかれたような気がしてしまうのは何故か。
 どうして高嶋を選んだかといえば、この距離感が楽だったから。近いようで遠い、名前のない関係。足りない空白を補う為にだけ欲した。そこに特別な感情などは無いように思えた。
 なのにどうしてこんなに、手を繋いだ場所から寂しさが滲むのだろう。
 松本にはわからなかった。ただ、誰もいない通学路の景色が愛しくてならなかった。