「零れ落ちる体温」

 何もなかった視界に燦然と輝く太陽が現れた。それはゆっくり、ゆっくり、大きくなっていって、大きさを増すたびに嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうだった。やがて大きさを留めた太陽は瞬くようにゆらゆら揺れながらも後ろをついてきて、振り向けば必ずそこにあって、気づけば掛け替えのない唯一無二の光になった。この太陽を守るためならいくらでも強くなれると思えた。強さをもらい、喜びを分かち合った。その光が何かに遮られることのないように近づく心ない闇を払い、迷わずついて来られるようにただ前を向いて歩き易い道を作った。そのうちふと気付いた。自分が迷わずに歩けているのはきっと、後ろから足元を明るく照らしてくれるこの太陽があるからなのだと。ただ前を向いて歩いて行くだけでは駄目なのだと。だから手を差しのべ、喜びだけでなく、痛みも苦しみも分かち合い、共鳴しながら歩んで行けるようにと歩み寄った。静かな終りが待っていることを漠然と感じていながら、いつまでも道なき道を歩いて行ければと願った。ふと気付いた。歩いているのはこの足だけではないと。自分の手を強く握る手があったと。右手と左手に、そのまた右手と左手に。一人の力で歩めるくらいの強さが無かったから手を握ったのではない、一人ではなく誰かと手を握って進むその先にあるものを見たかったからなのだと思いだした。心地よい感触と体温があって、言葉にならない感情があって、それを分かち合うことで得られる景色が見たいと願って、歩き出したことを思い出した。この先何かを失うことがあっても、後悔しないように、もう何一つ見落とさないようにと、新たな一歩を踏みしめるたびにそうして何度も何度も守るべきものと強さを与えてくれるものに感謝しながらどこまでもどこまでも闇を歩いた。
 胸の内にふつふつとわきあがる不安に気付いた。最初は恐怖、そこにあった輝く光が消えてしまうことの恐怖。次に不安。繋いだ手を放さなければいけない日がくることの不安。そのすべて、心に生まれる黒い感情を振り払うように、言い聞かせるようにしていていつしか前しか見られなくなっていた。その恐怖も不安も拭い去れるほどの安堵を覚えたのはいつだっただろう。繋いだ左手の体温が、あまりに心地よくて。優しい色の体温が、あまりにも温かくこの手を包むから。安堵し、また強くなり、前を向く。握った手が迷いをみせたその時は、優しさで支え、慈しみ、時には立ち止まって抱き締めた。支えられ、支え、そうして得たものは、一人で歩いてきたのなら絶対に得ることのできなかった言いようのない幸福だった。

 どうして分かち合ったのだろう、どうして手を繋いだのだろう。どうして慈しんだのだろう。どうして抱き締めたのだろう、どうして得てしまったのだろう。温かく穏やかな海に浸っているあいだ、幸福の裏側に潜む黒い光が、じわじわとこの身を蝕んでいた。気付いたころにはもう遅かった。振り返ったそこにいる太陽。左手に握る体温。どちらかを失くす日が来ることなどは考えたくもないというのに、頭を過ぎって離れない。不安はいつも、しあわせの傍に孤独を手懐け潜んでいた。『悲しまなくていい』と言うなら、『連れて行って』と笑ったあの日を消して欲しい。嗚呼、でも、こんなにも。だけど。その時屹度、俺は目を閉じて言うんだろう。さよなら、左手の体温。

 指を撫ぜてすり抜けていく。そんな、悪夢。