みひつのこい

「いつか、俺の知らないところで、視ていないところで、俺じゃない他の誰かが、俺の知らない、知ってても俺じゃない、他の誰かが、るきを殺すかも知れないそれがたまらなく嫌だ」

 寝ていたと思ったら急に起き出してきて何を言い出すのかと思えばこいつはまたイカレたことを、と麗の言葉を頭で整理するよりも先にこいつがまたありもしないことを想像して鬱になっているらしいということだけ把握する。なんなのだろうか、俺が今日一緒に寝ないって言ったから? 俺が今日仕事が詰んでてイライラしていたから? まあ理由はその全部だろうし加えてこいつの精神状態とこいつの悩みでもってこうなったのだろうが、毎度毎度のことながらこうなった麗の扱いには非常に困る。慣れはしている。だが困る。言葉を一つ間違えば、こいつはこの闇の淵から返ってこないのだろうから。

「るき、俺、るきが死ぬのは嫌だよ」

「……不吉なこと言うなまだまだ死なねーよ」

「でも、でもね、るき、いつか人は死ぬだろ」

「当たり前だろ。神様じゃないんだから」

「俺の知らないところでるきが死ぬのが嫌だ、嫌なんだ、だめだ、そんなこと。だから、だから、だからね、」

 ソファに座る俺の足元に跪いて、何を見ているのかわからない目で俺を通り過ぎるはるか向こうを見据えながら麗はどうしていいかわからない子供のように困った声で俺に訴える。答えを求めているような、哀願しているような。

「そうなる前に俺が流鬼を殺しちゃダメかなあ」

 一瞬ぎょっとして肝が冷える。冗談を言っているような目ではない、だから怖い。なんなのこいつは、俺が死ぬだの殺されるだの、不毛な想像ばかりして胸を病んで頭を腐らせて。

「あのなあ」

 でもわかってる、言葉を間違えちゃいけない。俺は俺の手をぎゅっと握ってくる震えた指をそっと握り返した。

「誰かがいつ死ぬかなんてわかんないんだから、若しかしたら今日死ぬかも知れないけど、若しかしたらもっともっと先、おじいちゃんになってからかも知れないだろ」

 うん、と何度も頷きながら麗はじっと俺じゃないどこかを見詰めて俺の話を聞いている。その無機質な眼球を危うく揺らしている瞬きを忘れた両目は、純粋な子供のように穢れがないように見える。

「大体、俺よりお前が先かも知れない。俺は車運転しないから、そういう点ではお前の方が死ぬ確率高そうだろ」

 死ぬ確率なんて測りようがないから、俺が先かお前が先かなんて分かる筈もない。ただどちらも同じくらい可能性としてはあるんじゃあないだろうか。詰まりは、

「そんなことは今考えなくていいことなの。だから、落ち着いて取り敢えず寝なさい」

 そう言い聞かせ麗の目をじっと見たら、麗は暫く何か考えてから、うん、ごめんね、と言ってやっと瞼を閉じた。瞼と瞼の合わせ目にうっすら涙が滲む。

「うん、ごめん。ありがとうるき。すきだよ。ホントだよ、本当に好きなんだ」

 麗はごめんねと何度も呟いた。俺の手にぎゅうと額を強くあてて、好きになってごめんね、好きだと言ってごめんね、ごめんね、でも好きなんだ、ごめんね。繰り返した。

「わかったよ。……わかったから寝ろ」

 一人じゃあどうせ眠れないんだろうから、ベッドまでついて行って一緒に蒲団に入ってやる。自分より大きな肩を抱いて背中を撫でて、息遣いを確かめさせるように身体を合わせて、髪に頬を寄せて。
 麗が言うことは突拍子も無いことだし信憑性も無い。だけど麗の言うことは、恐ろしくも本意、危うくも本気なのだ。それは麗だけでなく、俺も同じだということが何よりもまず恐ろしい。

(もしこいつが俺を殺してしまったとして、そしたらきっと俺も同罪なんだろう)

 だって、もう知ってしまった。屹度俺はその時止めないだろうし拒否もしない。もしもうすぐ死ぬとして、もし誰かに命を狙われたとして、もし俺も明日死ぬかも知れないなんて思いつめたとして。麗の筋張った指が、自分の首に回っても、それは本意と相違無い。

(これは立派な)